お経と音楽をひとつの如く『聲奏一如(しょうそういちにょ)』
―龍戒さんが演奏されている“現代仏教音楽”について教えてください。
一般には、伝統的な聲明(声明・しょうみょう/以下、声明)など、仏教に関する宗教音楽です。
声明は、インド発祥の仏教の聖典に節をつけて唱える声楽で、日本音楽の源流ともなりました。
私が演奏する“現代仏教音楽”は「聲奏一如(しょうそういちにょ)」、お経(聲/声)と音楽(奏)をひとつの如くにする、をテーマとしています。
『聲奏一如(しょうそういちにょ)』という言葉には、お経と音楽の共演は特異なものではなく、お経それ自体が音楽であり、音そのものに癒しがある点で、両者の本質は同じであるという思いを込めています。
お経は音楽のように聴くことで、安心や癒しを感じさせてくれます。
音楽と同様に「いつでも、どこでも、だれにでも、うれしく、楽しく」聴いてほしいのです。
お経や、ご詠歌(仏教の教えを和歌に乗せて唱える歌)などの伝統仏教音楽を、誰もが楽しく聴けるように古今東西の楽器伴奏を加えて、お経と音楽をコラボレーションさせています。
お経は音楽であり、日本音楽のルーツのようなものです。
世界の音楽のルーツも、例えばキリスト教の讃美歌や聖歌など、多くは宗教的な儀式やお祭りで演奏されていました。
現代仏教音楽は、よく「お経と音楽のコラボ」と評されます。
音楽のように楽しんでもよい、気軽に触れられるお経を“仏教音楽”と表し、各地での演奏やCD、YouTubeなどで皆様にお届けしております。
歌詞のわからない洋楽を楽しむように、歌詞が分からなくても音だけで楽しめる部分もあると思います。
私自身は、お経を音楽と捉えているので、現代の音楽と合わせるのは自然なことと思っています。
そうは言っても、例えば三味線とオーケストラがお経とコラボして演奏すれば、やはり珍しいですよね。
気軽に聴いていただければ嬉しく思います。
露地之偈(ろじのげ/法会に先立ち、本堂に入る前に僧侶が唱える声明)演奏の模様
―伝統楽器だけでなく、バンド演奏が入る楽曲もありますね。元々バンド活動をされていたのですか?
高校時代から楽器を触ったり、作曲・編曲するのが好きで、バンドでシンセサイザーを弾いていました。
お坊さんになってから、バンドの趣味は人に言えず、私服を着たり、変装をしたり、後ろめたい思いで音楽活動を続けておりました。
やっているうちに段々と「好きなことをするのに、なぜ人に隠して後ろめたい思いをしているのか」とバカバカしくなってきました。
堂々とやる方法を考えるうちに「こんなに素晴らしいお経を表現するのに、好きな音楽を利用しない手はない。これはお坊さんとして必要なことなのだ」と思うようになりました。
―音楽活動について、大きな発想の転換が起きたのですね。
一瞬で捉え方が変わりました。
元々音楽好きでしたので、声明が大好きになりました。真言宗には素晴らしいお経がたくさんあります。
法事やお葬儀で、お経を唱えますと、参列された方には喜ばれ、とても良いものであることは分かっていました。
しかし、どこでも気軽には演奏できず、日常では異質で縁起が悪い印象すらあることが、もったいなくて、嫌で仕方がないという思いから、作品が生まれました。
最初に作品を作ったのは、2000年頃と記憶しています。
ロックの伴奏に般若心経をコラボした曲と、声明という、お経にメロディのような節がついた読み方をする作品を制作しました。
本格的にYouTubeで発信して、人さまにお聞かせするようになったのは、2度目の高野山修行を終えた2008年頃です。
始めてみると、若い人が楽しんで聴いてくれるので「これはやらない手はない」と思いました。
私が高野山で修行させていただいたお寺のご住職は、当時97歳で伝統的な真言宗の声明の第一人者と言われる方で、世界各国で、日本文化としての声明を演奏ホールなどで披露しておられました。
「これはすごい」と感銘を受けて、その方には到底及ばないけれども、声明をもっと勉強したいという思いが湧いて、生きている人にこそ役立てていただくために、積極的な音楽活動を始めました。
音楽で届ける仏教の祈り
―音楽ジャンル、宗教宗派を問わないコラボレーションは、どのように実現しているのですか?
偶然の出会いもありますし、「このお経には三味線がいい」という発想からのご縁もあります。
例えば、般若心経がどんな時、何の場面に適しているかというと、祈りの場面です。
お経は、聴く人のその時の心情に寄り添うものですから、お経の側が変化しなければなりません。
お釈迦さまは“対機説法”といって、相手に合わせて法を説きました。
楽しい時にはゴージャスなアレンジ、独りでしんみり哀しさと向き合いたい時にはアコースティックギターやピアノのみ、と、次に作りたい楽曲に合わせた楽器を考えています。
―今後の音楽活動は、どのような展開を考えておられるのでしょうか。
「宗派を超える」が大きなコンセプトの一つです。
2015年のコンサートでは、さまざまな宗派のお坊さんと共に演奏させていただきました。
お経を音楽で表現すると、宗派を超えた表現ができます。
また、聴く人にとっては宗派の壁など関係ないとみることもできます。
お経は、どの入口から入っても、お釈迦さまの教えである仏教の本質に繋がりますので、窓口は広い方が良いですし、宗派の協働は、目指すところです。
第三回 仏教音楽コンサート「聲奏一如vol.3」の模様
次回はキリスト教の日本福音ルーテル東京教会で『仏響コンサート ~声明と教会音楽の出会い~』と題したコンサートを予定しています。
小学生の頃から「教会音楽って、かっこいいなぁ」と感じていました。
ステンドグラスの神々しい光が降り注ぐ教会という場所で、パイプオルガンや弦楽四重奏の調べと共にお経を演奏し、お祈りをします。
教会音楽に負けないくらい、かっこよく声明やお経をアレンジして少しでも多くの方に仏教の素晴らしさをお伝えしたいと、準備を進めている最中です。
(YouTube紹介動画:
https://www.youtube.com/watch?v=hgJG2tO28YI)
現在は私自身が真言宗のお経、声明の学びをしっかりとさせていただきながら、どうアレンジするかに大変こだわっています。
相当わかりやすく披露しているつもりでも、聴く人にはまだ足りないかもしれません。
どんな人にも聴いてもらえるように「もっと音楽に寄せたニュアンスで伝えることを模索しても良いかもしれない」とも感じております。
さらに、若いお坊さん達が「自分もやってみたい」と思ってくださるような活動を続けて、他宗派のお坊さんや、色々な演奏家の方をプロデュースすることも、将来的にはやっていきたいですね。
仏教だからこそ、こだわりを捨てることができる
―製作した楽曲にはどのようなものがあるのですか?
最も有名な『般若心経』は、正式には「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」といいます。
「色即是空 空即是色」のフレーズが有名ですね。
祈願成就、お祝いごと、悩み苦しみに直面した時、どんな場面でも「自分自身の心中にこそ、仏が居ると気づきなさい」と促してくれます。
ピアノ弾き語りやバンド演奏、弦楽四重奏とのコラボレーションなど、皆さまの日々の励みの一助となることを願い、あらゆる場面に合わせて聴いていただけるように様々な形にアレンジしています。
(YouTube動画『般若心経 ―覚醒―』:
https://www.youtube.com/watch?v=Y2G9JnwMXWM)
『四智梵語』という楽曲は、声明の中では最もポピュラーな曲の一つです。
大日如来さまより脈々と伝わる教えと、その四つの智慧を讃える賛歌をアレンジしました。
私たちの行いの善し悪しも含め、すべて仏さまは親のように受け止め、護ってくださっています。
「みなの命は平等の宝であり、同じ命を持つ皆に、尽きぬ救いを行おう」と祈られているのが四智梵語です。
ありのままの自分を認め、同様に他者を大切に思い、優しく接することができますように。
そんな生き方の果てに、覚りの希望があることを、心地よい和音と、二胡や箏(こと)のやわらかい音色を用いて
編曲しました。
(YouTube動画『四智梵語』:
https://www.youtube.com/watch?v=xnSndius2EY)
―あまり敷居の高さや、宗派の壁を考えずに関わってよい部分もあるのですね。
真言宗ではお経を聴くだけでなく、曼荼羅の絵をみるなどの “体験”から学ぶこともできます。
例えば、アメリカという国を知ろうとした時に、ガイドブックや参考書を読んで知識を得ることもよいですが、実際に行って体験してみることが大切かと思います。
仏教は「こだわりを捨てましょう」という教えです。
お釈迦さまは、偏りや極端を嫌った人で“中道”という教えを説いています。
これまでのお話とは逆説的に感じるかもしれませんが、宗派はこだわってもよいもの、とも考えられます。
なぜなら、こだわり抜いてこそ、こだわらなくてよくなる、とも言えるからです。
自分の宗派の伝統を極めれば極めるほど、他を認められるのだと思います。
お釈迦さまほどの達観した視点から観ると、世の中のどんなもの、状態にも仏性があり、役割があると言います。
人間も、若くてバリバリ仕事をしているのが、最も価値があるのではなく、病気になっても価値があるのであって、どんな物事、状態にも役割があることを見出そうとするのが仏教です。
色々な宗派の超え方があり、いかに超えるか、はどのような活動をしていくかにも繋がります。
何でもよい、というのも、よいでしょうし、自分の宗派や声明の節など、極めるところを極める道もあります。
宗派や仏教そのものさえも超えてしまった方が、寄り添える場面も多くあります。
例えば、お子さんを亡くして、ご自宅にお骨を安置して毎日泣いているお母さんが「どうしても49日ではお別れできない」と仰る時に、仏教の習慣では49日で納骨をしてお別れしなければなりません。
教えを説いて納得させるのも仏教かもしれませんが、1周忌・3回忌まで待ってほしいと言われたら「それでいいですよ」と、自分の考え、仏教の考えは二の次でもいい。
そういう思いを持っている人には、私共がどれほどのことをしても、追いつかないということを知っておかなければならないと思うのです。
こだわりを捨てたり、仏教の教えに反したとしても、自分がそれをして地獄に行くとしてもよいと思うほどに、こだわりなくやるという姿勢は、仏教だからこそできることであるという思いがあります。
お寺自体も、いつでもお坊さんと話ができる場所であると感じていただけることが大事ですね。
お寺は千寺千通りです。
「色々と活動したいけれども、何からやってよいか分からない」と仰るところも数多くあります。
私のお役目は、各お寺さんとも連携して、お寺というのはそんなにマイナーなものではないと示すものであろうと思っております。
組織概要
高野山真言宗功徳院 すがも平和霊苑HP:
http://www.haka.co.jp/
松島龍戒オフィシャルサイト:
http://www.tera.or.jp/
一般社団法人 現代仏教音楽研究会:
http://bukkyo.shop-pro.jp/
YouTube:
https://www.youtube.com/channel/UCZNXh4NWoz24jXzWETQHIEg
Facebook:
https://www.facebook.com/ryukai.matsushima
執筆者
取材・文:GCストーリー株式会社 阿南
編集:GCストーリー株式会社 佐藤
画像提供:高野山真言宗功徳院、一般社団法人 現代仏教音楽研究会
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