大切な人がターミナル期に入ると、家族の緊張はピークに達し、その人にしてあげられることが限られていくことに悲しみを抱くことも多くあるのではないでしょうか。
少しでも穏やかに、安らかに過ごしてほしいと祈る思いを、直前まで機能が維持されるといわれる聴覚に訴えかけることのできる音楽で届ける方がいます。
今回は、リミナル・ハープ奏者の佐野正子さんにお話を伺いました。
聴き手の不安や孤独に寄り添い、癒す“リミナル・ハープ”の調べ
―始めに「リミナル・ハープ」とはどんな音楽か、教えてください。
「リミナル・ハープ」は、私がオリジナルで命名・創設した音楽活動で、アメリカで生まれた音楽死生学と、リラ・プレカリア(祈りのたて琴)を土台としています。
「リミナル」は“人生における過渡期を表す境界域”を意味しています。
例えば、母親の胎内から誕生する時、少年から青年になる時、この世からあの世へと旅立つ時などです。
さまざまな地域・伝統・文化の中では、このような人生の節目に通過儀礼を設け、こちらの局面からあちらの局面への移行がスムーズに行われるようにと家族や親族、村全体で支えてきました。
慣れ親しんだ環境から、次の全く新しい環境へ移ろうとする時、大きな不安を抱くことは誰しも経験がありますよね。
儀式でもお祭りでも、伝統行事では音楽は決して欠かせない重要な役割を担ってきました。
生まれたばかりの赤ちゃんを子守唄であやしたり、葬儀で悲しみを癒すために葬送曲を歌ったりといった習慣は今も続いています。
このような伝統に習い、リミナル・ハープは、様々な人生の段階において不安や孤独を感じている方に音楽で寄り添い、その人の魂の尊厳を尊重することを目的としたハープ演奏です。
具体的には、その方の呼吸のペースに合わせて音楽を奏でることで、《共にある》ことに集中します。
ハープと歌声と祈りの心を使って「あなたはそのままで価値のある大切な存在です」と、お伝えすることを目指しています。
あくまでも聞いて下さる方を中心に、音楽を通じた祈りや癒しになることを意図して演奏しています。
―どのようなところで演奏されているのですか。
定期の活動場所は錦糸町の賛育会病院と東京町田市の特別養護老人ホーム清風園の2か所です。
主にターミナル(終末)期にある方々をお訪ねしているのに加え、賛育会病院では緩和ケア病棟以外にNICU(新生児特定集中治療室)で小さく生まれた入院中の赤ちゃんたちとそのお母さん方にも聴いていただいています。
講演会やイベント、グループの勉強会や個人宅でもご依頼があれば伺って演奏をさせていただいています。
聴き手の呼吸に合わせて演奏する“たった一つの音楽”
―先ほど実際にターミナル期の方への演奏を聴かせていただきましたが、独特のテンポだと感じました。
私の演奏は、実は聴かせる音楽としては成立していない、と言いますか、メトロノームに合うような聴かせるクオリティにはなっていないのです。
相手の呼吸に合わせて演奏しますので、ほんとうに刻一刻とテンポが変わります。時には少しの間、呼吸が止まってしまう時に、躊躇せず一緒に音楽も止まるのです。
呼吸が再開したら、音楽もまた始める。私が音でグイグイ引っ張って、呼吸を始めさせるようなことはせずに、どれ位止まっているかな。と一緒に観ていて、復活したらまた奏でる。という演奏のしかたをしています。
―ターミナル期の方と2人きりの中、使命感をもって演奏されているご様子が伺えました。
演奏をするためにご利用者さまをお訪ねしているというよりも、とにかく毎回、先生に会いに来ているつもりでいます。
今日はお2人の先生にお会いしました。1人でも多くの先生に会いに来ることで、完成はなくとも何かが成されていくのだろうと思っています。
つい何回か前の時に通算500人の先生にお会いしまして、本当に育ててもらって、色んなことを教えてもらっています。これからも、それをただただ続けていきたいです。
―依頼があればグループ向けにも演奏されるのですよね。何か印象的な出来事はありましたか?
先日は草加市で『みんなの保健室』の活動をしている方に呼んでいただき演奏をして来ました。いつもそうなんですが、皆さん演奏が終わった後は、すっかりリラックスして寝てくださる方も多くてシーンとしてしまうんですね。
私は、各々の方が自己の体験としてじっくり醸造されるまでは時間がかかるし、あえて感想は聞かない方が良いと思っていますが、初老の男性がスッと手を挙げてくださり「2つの体験をしました」と感想を語ってくださったんです。
「1つは、部屋の中にいるにも関わらず、登山をして木の下で休憩をした時に葉がそよいで、風が吹いてくる、自然の状況を体験していました。もう1つは、大病をして幽体離脱をした時と同じ、自分が浮いて下が見えている、という体験をしていました」
そんな貴重なことを教えてくださって、その方が仰るには「音楽を聴いたのではなく、状況を体験しました」という感想は印象に残っています。
―楽器が多数ある中で、特にハープを始めたのはなぜですか?
元々小さい頃から、たまらなく弦の音が好きだったんです。もう理由がないんです、そこには。
中学の時に、部活でクラシックギターを始めて、そこから弦の人生が始まったんですが、部活を引退した後、なかなかギターでアンサンブル(2人以上の同時演奏)って、仲間をそろえないと出来ないですよね。
それで1人で出来る楽器としてバイオリンを続けている中で偶然、教会のイベントに参加した時にハープのプログラムが紹介されていて、弦の音に惹きつけられて観に行きました。
ハープでターミナルケア(※1)に携わるらしいということで「いつかやってみたい」と思っていて、何年か後にやっとその2年間の研修プログラムに参加したんです。
※1 ターミナルケア:終末期医療・末期介護
―2年コースとは社会人には長い期間ですね。なぜハープを本格的にやることにしたのですか?
私はそれまで、ディズニーピクチャーズで映画のDVDを作るお仕事をしていました。
仕事が大好きで「エンターテイメントは私の天職!」と思ってずっとやっていたのですが、2011年の東日本大震災の時、これまでの人生を立ち止まって考えるきっかけになりました。自分が楽しい大好きな仕事だけれど、エンターテイメント、特にDVDや映画って、寝食が満たされていて「あと何か楽しいことないかな」と、いわゆる娯楽なんだなと思って。エンターテイメントにも、もちろん、人々に夢や活力を与える素晴らしい力があります。けれど、生死の危機的状況を目の前にした時に、はっとしてしまったんですね。「人々が傷ついていたり、生きる死ぬのことには、自分のやってきたことって何の役にも立たないじゃない。」と、大きなショックを受けてしまいました。自分の人生のドアを締める時、誰か(大いなる存在?)に胸を張って「私はこの人生でやって来ました!」と言えるように、人生の後半は生きたいと思いました。
それには布石があって、実は2002年に次男を出産した後、産科の廊下にいてボーッとしていた時に、いきなり「いのちに関わることが1番大事」とメッセージが降りてきて、忘れられなくて。
その後仕事に復帰してもずっと頭に残っていました。10年間やりたい思いを温めた末に、仕事を全部辞めて、ハープを学ぶことにしたんです。
―感想を聴くこともなく、ただ祈りを届ける姿は現代の人がやっているとは思えませんでした。
最初のうちは「今日の演奏は、どうでしたか?」って、すごく確かめたかったです。だってやっぱり評価は気になるし、悪かったなら改善点を知りたくて。
そのうち自然にそういう気持ちがなくなって「淡々と精いっぱいやろう」と思うようになりましたね。
「必要だ」と言っていただいたから行って、ベストを尽くして帰る。そうすることによって長く続けられたのかもしれません。
ターミナルケアに関わっていると、もう次は会えなかもしれない状況も多く、精神的にきついこともあります。そんな中、自分の今できることを誠心誠意することで、生きることも亡くなっていくことも、日常の一部だと思えるように皆さんがしてくださったのかな、と思います。
ご家族、援助スタッフの方にも、共に聴いてほしい癒しの音色
―佐野さんのハープには、体が動かない人にも最期の最期まで癒しを届けられる可能性を感じます。
そうですね、聴覚は五感の中で最後まで残る感覚だと言われています。本当は、社会と繋がりの薄い方のご自宅に行って、ハープを演奏することが、究極の夢です。
施設や病院にいる方は、充分な情報があってスタッフにも囲まれていますが、自宅で限られた人との関わりになってしまっている人のところにこそ、行きたいです。
地道に続けていって、医療・介護従事者の方に紹介頂けるようになると良いな。と思っています。
―ご自宅で、家族も一緒に聴けると素敵ですね。
病院でも、お見舞いのご家族がいれば、是非ご同席くださいとお伝えしています。
まず弦を1本、ポーンと弾いただけで張りつめていたものが玉ようかんのようにプルンとはじけたようになって、ポロポロと涙を流したり、看病疲れか、深く眠る方もいらっしゃいます。
―要介護者ご本人の援助はあっても、ケアするご家族や医療従事者の方たちへの援助には目が行かないことも多いのではないでしょうか。
先日、NICU(新生児特定集中治療室)における音楽療法という勉強会で、アメリカの方が発表していました。
入院している低体重の新生児は、医師や助産師さんが周りにいっぱいいて、日々のデータを取ったりお世話をしたりして見守っています。
一方で、 “お母さんへのケアが忘れられがちになっている”という内容でした。
赤ちゃんにとって、お母さんが安定していることは何よりの薬であり栄養だから、それを考えることがとても重要だけど、お母さんは患者ではありませんから、厳密な意味での医療の対象ではないんですね。
私がハープ演奏をさせて頂いている賛育会病院の助産師看護師さん達は、お母さん方にも声を掛けるように努めていると仰っていました。
お世話をしている人が倒れてしまったら、お世話をされている人にも大きな影響があるので、単体で考えることはできませんね。それは介護の現場でも言えることだと思います。
―なぜ緩和ケア病棟だけでなくNICUでも演奏するようになったのですか?
なぜか元々、赤ちゃんのところでも演奏したかったんです。
恐らく自分の中で、そうすることによってバランスが取れる、という直観があったと思います。
なぜなら“いのち”って終わるだけじゃないですよね。片方が存在すれば、必ずもう片方もあるのが自然で、死に対するもう片方が誕生だったんです。
“いのち”の始まりと終わりには、共通する何かがある気がするんです。両方哀しいし嬉しい、どちらの感情も同じようにある感覚です。
病院で集まりがあった折に、偶然NICUの看護科長さんに紹介していただけて、私の思いをお伝えしたところ、快く許可を頂けました。とても感謝しています。
私自身、NICUでも演奏させていただくことで、とても安定したというか、支えられています。
―今後はどのような活動をしていくご予定ですか?
今のところは現在の活動を地道に継続していきます。
「CDはないのですか?」とか「後継者を育てないんですか?」といった質問を受けることが時々あり、これから徐々にそういったことも考えていこうとは思っていますが、とにかくCDよりもライブの音をお届けすることを中心に据えて、一期一会を大切にしながら一歩ずつ歩んでいきます。
お問合せはコチラ:mseadragon@icloud.com
参考サイト
社会福祉法人 賛育会 賛育会病院HP:
https://www.san-ikukai.or.jp/sumida/hospital/
社会福祉法人 賛育会 清風園HP:
https://www.san-ikukai.or.jp/seifu-en/
執筆者
取材・文:GCストーリー株式会社 阿南
編集:GCストーリー株式会社 佐藤
画像提供: 佐野正子、GCストーリー株式会社
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