2017年6月に公表された厚生労働省「保険医療2035」での提言では、当年の「総合診療医」資格化に向けて、質の担保・人材育成、地域主体の保険医療再編の重要性等に関するレポートが発表されました。
今回は「一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会」理事、めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊先生に「解決できない苦しみ」といかに向き合うか、お話を伺いました。
「スピリチュアルな苦しみに対する具体的援助」の普及に取り組んでおられます。
「死」という大きな苦しみを抱えた患者・家族の人生に最期まで逃げずに関わる
―「エンドオブライフ・ケア協会」を起ち上げた経緯をお話いただけますか。
まもなく超高齢少子化多死時代がやってきます。これまで、国の施策や様々な働きかけにより、全国に志ある医療職や介護職は増えていますが、一部の地域だけがよければとは思いません。
どこに住んでいても、住み慣れた地域で人生の最期まで過ごせるように、関わる人材の育成が求められていると考えて、2013年から自身のクリニックで「人生の最終段階に対応できる人材の育成プロジェクト」を開始しました。
全国的に提供できる体制が必要であると考え、またこのテーマを真剣に考えてくれる仲間を増やしたいと考えて、エンドオブライフ・ケア協会の設立に至りました。共に協会を設立した長尾クリニック院長の長尾先生やみその生活支援クリニック院長の小野沢先生は「真剣に社会を良くしよう!」と、共に行動する同志として賛同いただきました。
2060年には8千万人まで人口減少が予測されるなか、少ない生産人口で多くの高齢者を支えていくことになります。1人で頑張る医師が、対応可能件数を遥かに超える「看取り」が発生しバーンアウトする可能性すらあります。
「目の前に苦しむ人がいたら、人生の最期まで関わろうとする」そんな仲間を1人でも多く増やし、育成すること。それが協会に与えられたミッションの1つです。
また、医療・介護従事者だけではなく、家族の介護に関わる皆さんが、「仕事」と「介護」を両立できる可能性を見出していきます。
制度を活用することで解決できることも多くあるのかもしれません。しかし、それだけでは解決できない親の、そして自分自身の苦しみといかに向き合うか。
「死」という大きな苦しみを抱えた多くの人たちと関わってきたなかで学んできたことは、「死」に限らず、「介護」や「仕事との両立」、「親との向き合い方」など、生きていく上での様々な困難にも当てはめることができると考えています。
―「解決できない苦しみ」のケアについて教えてください。
介護を必要とする親を前にすると、子どもは大きな苦しみを抱えます。
親も苦しみを抱えていますが、子どももまた、そばにいて苦しくなります。
親の苦しみを「解決できる苦しみ」と「解決できない苦しみ」に分けて考えます。
「解決できない苦しみ」を抱えた方に対しては、どのようにケアをしたら良いでしょうか。
まず「解決ができる苦しみ」。治せる病気であれば、適切な診断と治療が出来ます。例えば心筋梗塞や、急性期の疾患の多くは、適切な医療で社会復帰が可能です。
では、「解決できない苦しみ」を見てみましょう。
例えば、脳梗塞で麻痺が残ったお母さんのケースを考えてみます。
以前は1人で家事が出来ていた方の場合、家事ができないこと自体が問題であれば、介護サービスを利用すれば、その問題は解決しますね。
しかし、お母さんは、本当は自分で家事がしたいかもしれません。でも、今は自分ですることができない。「子どもが実家に帰ってきたら好物の料理を作り、世話を焼く。これが本当の私。それができない私は、本当の私じゃない」
私が私でなくなっていく。こういう苦しみは恐らく、適切に介護サービスを利用しても、安心できる介護施設へ入っても、残り続けるのではないでしょうか。
また、1人でトイレに行けなくなり、下の世話が必要になるケースもあります。
ポータブルトイレや介護サービスでお世話をしてもらうことは出来ます。
しかし、ご本人の「下の世話になるくらいなら死んでしまいたい」という苦しみは残り続けます。
「本来したいことができない苦しみ」は日常に多く見受けられます。
「励まし」は通じませんし「あの時ああすれば良かった」と時間を過去に戻すことも出来ません。
「なぜ私はこんな病気になったのか。なぜ、私がこんな目に遭うのか」と苦しむのです。
「聴く力」を育て、苦しみを抱える人とその家族の支えとなる
―「解決できない苦しみ」は、介護に関わる全ての人に深く関係しそうですね。
エンドオブライフ・ケア協会のテーマは、ただ痛みを和らげるとか、希望の場所で最期を迎えるという話ではありません。
「解決できない苦しみを抱えた人に対して、どうしたら良いのか?」に、最も力を入れて活動していることが1番の特長と言えると思います。
今の医学は進歩して、血圧などの数値を指標に「病気」を管理して、ひと昔前と比べて長生きできるようになりました。
数値は大事ですが、どんなに数値を良くしても「解決できない苦しみ」は残り続けます。
人に迷惑をかけたり、まもなくお迎えが来るような状況の時に数値だけを見て、その人の援助と言えるでしょうか。
どんなことがあると、苦しみを抱えた人の表情が「穏やか」になるでしょうか?
実はこれなら、資格の有無でなく関わる全ての人が「私にも出来ることがある」と思えます。
親の介護をする方にとって「解決できない苦しみ」は、とても大きな壁に思えるかもしれません。
どんなことがあると大事な親の表情が「穏やか」になるか、を確認するのです。
―具体的には、どのように向き合っていけば良いのでしょうか?
介護が必要になった方が抱える苦しみと向き合う時の、最初の重要なポイントは「苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいると嬉しい」
そのことを踏まえて関わることです。
誰かの力になりたいと思う人ほど、苦しんでいる人を見ると、つい励ましたくなってしまいませんか?
「大丈夫!あなたは素晴らしい。良く出来ました!」と言ってあげたい。
でも「人に迷惑をかける位なら早く死んでしまいたい」と口にする人が、「そんなこと言わないで。大事な命だよ。がんばって」と慰められ、励まされても、本人は嬉しくありません。
「あなたに私の気持ちなんて、わからない」と思うかもしれない。
「なぜ私がこんな目に遭うの?私がおじいさんを見送るつもりだったのに」そんな70代のおばあさんが、病気で余命半年と言われる。
そばで関わる人は、そのおばあさんを心配し、気遣い、理解しようとします。その姿勢は大切なことです。しかし、おばあさんが抱えている苦しみを、他人が100%理解することは出来ません。
発想を変えてみましょう。「私が相手を理解する」のではなく「相手が、私のことを理解してくれる人だと思う」。これならば、可能性があるのではないでしょうか?
苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいると嬉しい。
どんな私であれば、相手から見てわかってくれる人になれるでしょうか?それは、「聴いてくれる人」です。
この「聴く」ということはとても奥が深くて全てはここで語り尽くせませんが、ご関心のある方は、ぜひ我々の講座を受講していただければと思います。
―「励まし」ではなく「わかってくれる人」だと思ってもらえる関わり方が重要なのですね。
相手があなたを「聴いてくれる=わかってくれる人」だと思ってくれたら、次はその人の「苦しみをキャッチすること」です。
普段の生活でも、意識しないとちょっとした変化に気がつかないものです。奥さんが髪型を変えても旦那さんが気づかないことがあるように。
苦しみに気がつく感性を養う一つのポイントは、苦しみを「希望と現実の開き」と捉えることです。
家族だからこそ、なかなか聞けないことや言えないことがあるなら「わかってくれる誰か」は、第3者でも良いのです。
子どもとして、伴侶として、100点でなくて良い。相手の表情が穏やかになれば良いのです。
その時に、相手にはどのような希望と現実の開きがあるのか、つまり相手の苦しみをしっかりキャッチして、その苦しみを共に味わう。
全ての苦しみを解決することはできない。その事実を認めた上で、それでも相手が穏やかになれる可能性を探します。
その人が穏やかになれる条件=「支え」をキャッチする
―希望と現実に大きなギャップがある時、いかに「穏やかでいる」ことが出来るのでしょうか。
従来の医学は病気の原因を特定し、取り除くことで、病気を治すことを目指してきました。医療技術は格段に進化しましたが、全ての苦しみはゼロにはなりません。
人は苦しみがありながら、穏やかになれるでしょうか?
可能性はあります。なぜかというと「支え」があるからです。病気や怪我や困難や苦しみから、人は様々なことに気がついていきます。
そばに家族がいる喜び、友人のひと言の温かさ、以前は聴き流していた音楽に心洗われ、庭に咲く花の美しさに気づく。
何気ないことですけれど健康な時には気がつかない「自分にとって大切な何か」そこに気がつく可能性が、この仕事の魅力でもあります。
苦しみがありながらも、だからこそ「穏やかになれる条件=支え」を意識するとアプローチが変わってきます。
ただ単に要介護度に合わせたサービスをあてがえば良いわけではない。そこには人間としての尊厳があります。
例えばあなたのお母さんが、誇りであった「自分の生き方」を、あなたがわかってくれていると感じることが出来る。
お母さんは今でこそ生活の助けが必要になったけれど、いつもたくさん料理を作り、友達が「○○ちゃんのお弁当、いつも美味しそう」と褒めてくれた、それが本当の自慢のお母さんの姿。
お母さんがどんなに弱っても、あなたがそれをちゃんとわかっていることが、お母さんの尊厳を守るのです。
将来の夢があれば、最期まで大切な人と関係性があれば、選ぶことができる自分があれば、穏やかかもしれません。
特に「選ぶことができる自由」は非常に範囲が広いです。
例えば、最期まで徹底的に闘いたいのに、もう治療がないからあきらめなさいと一方的に言われれば、穏やかではいられません。
逆に、穏やかな最期を願っていたけれど、本人が希望しない医療を家族に求められたら、それも穏やかではないかもしれません。
希望する医療を受けられて、希望しない医療を受けなくて済む選択肢が自分にあるかどうか。
そして「尊厳」です。
その人が大事にしてきた、重要と思うこと、大切なこと、その人が果たしてきた役割を、特にこのエンドオブ・ライフ協会では大事にします。
その尊厳をきちんと言葉にして、きちんと世代を超えて伝えることが出来るようにします。
たとえ間もなくお迎えが来るとしても、子や孫、友人に「伝えたいこと」それが本当に伝わったら、本人はとても穏やかな表情になります。
私が看取りの現場で学んできた教訓です。
―先生はいつでも患者さんに、とても穏やかに接していらっしゃいますね。
心不全末期だった患者さんが亡くなる前日にも、こんな会話をさせていただきました。
本人は話ができない、頷くだけの状況でした。
息子さんに「いまお父さんは、あなたにどんな言葉をかけると感じますか?」と尋ねると、3日前のことを語ってくれました。
「私の手を今までにない強い力で握りしめて、自分は財をなすことに一生懸命生きてきた。だけどお前は社会貢献しろと。それが俺の遺言だと」
「そのメッセージが伝わったら、きっとお父さんは嬉しいですね」と言うと、息子さんは「それを実行することだと思います」としっかり答えてくれました。
「全部聴こえてますね」とお父さんに言うと、短くうなずくというシーンがありました。
つまり「わかってくれると嬉しい」です。
その人の大事にしてきたこだわり、伝えたいメッセージが伝わるのが嬉しいのです。
「解決ができない苦しみ」を抱えた誰かとの関わり方として表情を観る。
苦しみがありながらも穏やかになれる「支え」をどのように応援できるのか。
「どのような希望があるか」も大事にしたいですね。美味しいものを食べたいとか、墓参りに行きたいとか、どんな希望があるか分かりません。
どんなに絶望と思える状況でも、孫がこうであってほしい。とか、家族が仲良くしてほしい。とか、
それをきちんとキャッチして、本人に返すことで、希望と現実に大きなギャップがある時でも「穏やかでいる」ことが出来る可能性があるのです。
(後編へ続く)
https://mamoria.jp/clip/20170626/end-of-life02
組織概要
一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会HP:
https://endoflifecare.or.jp/
めぐみ在宅クリニック(在宅療養支援診療所):
http://www.megumizaitaku.jp/
参考文献
『人生の意味が見つかるノート』小澤 竹俊著(アスコム)
『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』小澤 竹俊著(アスコム)
参考サイト
NHK『プロフェッショナル仕事の流儀 第317回』:
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0306/
NHKスペシャル『最期の願いをかなえたい~在宅でガンを看取る~』:
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20080224
映画『うまれる ずっと、いっしょ。』:
http://www.umareru.jp/story/
執筆者
取材・文:GCストーリー株式会社 阿南
画像提供:一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会
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