内視鏡検査でも発見困難な「スキルス胃がん」
―なぜ「スキルス胃がん」に特化した患者会「希望の会」を起ち上げたのですか?
元々は、患者だった前理事長の主人が「スキルス胃がん」というのが「ある」ことを意識してほしい。という思いで起ち上げました。
現在は、治療に関する情報交換や精神的な支え合い、政策提言などの活動をしています。
「スキルス胃がん」は、早期発見の難しい難治性がんの1つです。
主人が告知を受けた当初は、絶望しか感じませんでした。
周りからも、あらゆる助言や本、サプリメントや色々なものが送られてきて、情報に溺れそうになってしまって。
主人も自分の「いのち」を突き付けられて、受入れるのに必死でした。
今思い起こすと、私は何とか助けたくて通常とは違う思考状態に陥り、どんどん周囲から孤立していきました。
「自分たちの思いを理解してくれる人はいない。」「相談できる人もいない。」「自分を助けるのは自分たちしかいない。」と思ってしまって、半年ほど2人で自宅に引きこもりました。
病を受け入れるだけで必死の主人に、私が「あれも、これも、やってみよう。」と薦めるものですから「誰のためにやっているのか?」という擦れ違いが生じました。
その頃に「日本国内にきっと同じ病気の人がいる。その人に会ってみたい。」と主人がブログを始めたのです。
「同じ病気、同じ思いの者同士で会いたい!」と思い立ち、告知を受けて1年ほど経った時に、思い切って大阪へ行きました。
その時に全国から集まった4名でのオフ会が「希望の会」の前身です。
スキルス性ではない「胃がん」では、胃の内側に凸状や凹状の変化が現れます。
「スキルス胃がん」は、がん細胞が胃の内側の粘膜の下に潜り込み、胃壁の中をあたかも砂地に水がしみいるように拡がるため、腫瘍(がん)と正常な組織の部分との境界がはっきりしません。
そのため、胃X線検査(バリウム検査)や内視鏡検査によって早期に発見されにくく、多くはIII期やIV期という進行した病期(ステージ)で見つかるのです。
しかし患者会を作ってみると、早期発見困難と言っても「スキルス胃がん」に力を注いできている先生方は、発見確率が高いことが分かってきました。
例え手術ができた場合でも、5年生存率は15~20パーセントとのデータもあり、通常の胃がんよりも予後は厳しくなります。
少しでも早く見つかれば、外科的治療に進める確率が高まるのです。
その後も5年、6年とサバイバーとなって現職に復帰している方もいらっしゃいます。
「胃がんは治る」と皆さん思っていらっしゃるのではないでしょうか。
主人も会員の多くの方も、胃部の違和感を訴え検査を受けて「胃炎」と診断されました。
「何か変。」とずっと思っていた時に、もし私たちに知識があったら「先生、もしかしてスキルス胃がんの可能性はありませんか?」と聴くことで再検査に繋がったかもしれません。
いま現在、早期発見のために出来ることは、とにかく「意識してもらうこと」だと思っています。
「希望の会」の活動を通して、1人でも多くの「スキルス胃がん」患者さんの早期発見に繋がることを願っています。
―小冊子『もしかしたらスキルス胃がん』は、とても分かりやすく解説されていますね。
医療者の方に向けたものではなくて、一般の人に「知ってください。」という思いで主人と作りました。
「スキルス胃がん」は難治であるがゆえに受け止める側にも厳しい内容です。
せめて「読みやすく、少しでも受け入れやすいように」という思いで、知り合いのイラストレーターの方が考えて下さいました。
無料でお配りしていますので、是非読んで頂きたいです。
辛い「がん」だからこそ、いつか「希望」につなげたい
―相談できる人がいなかった、とのことでしたが、医療機関やご家族には相談なさらなかったのですか?
その時には上手く医療者とコミュニケーションがとれておらず、相談出来ませんでした。
さらに「医療相談室」というものがあることを知らなくて。
当時は「スキルス胃がん」の患者会はなく、他の「がん」にしても患者会があることすら知らない状況でした。
私の両親は既に他界しており、もし生きていても、相談しなかったと思います。
会員の方々も同様で「親に心配をかけたくない。」と、逆に強がって見せたり、気を使ってしまうとおっしゃる方が多いです。
―同じ病気の方々との出会いをキッカケに、NPO法人化まで成し遂げたのですね。
1人じゃないことを実感出来たことが、最も大きな力になりました。
主人との間に「すれ違い」があったと申しましたが、同じ病気の本人同士、家族同士、とっても分かり合うことが出来たのです。
そこから、夫婦で話し合い、公のメディアに「出て行く」ことを決めました。
特に難しい病気ですから、公表にはデメリットも伴います。
主人は、自分が外科的手術も出来ない「いのち」に限りがある状況だと覚悟しました。
主人の高校時代の友人たちが中心になって「どうせやるなら発信力と信頼性を持った方が良い。」と、NPO法人化を助けてくれました。
「辛いがんだからこそ、いつか希望につながりますように。」という祈りを込めて、主人はこの会に「希望の会」と名前をつけました。
活動を通じて「人は人に対して、そんなに無関心ではない。」と日々感じさせていただいています。
具体的に協力出来ることが分かれば、助けたいと思ってくださる方が大勢いらっしゃいます。
助けたい思いがあっても、何をしてほしいか、何を考えているか、分からなければ助けられませんよね。
自分たちの姿を観てもらえば「きっと何か感じる方がいる。」と考えています。
―轟さんは積極的に全国の会員患者さんに会いに行っておられますね。
会員は全国にいて、若い方や、小さいお子さんを抱えた状態で発症した方も多いです。
私自身、事故で両親を突然亡くした経験から「後回しにしたらもう2度と会えない。」という思いを痛感しています。
全国の会員を訪ねたことで「あまりにも地域に格差がある」ことが分かりました。
特に「情報の格差」が最も大きいです。
ある県の一例を挙げると、その県を代表する国立病院があり、県内の多くの病院が、その病院の傘下になっていて、セカンドオピニオンが成り立ちにくいのです。
私たちは疑問や不信感を抱き困っている方々を、いかに「助けてくれる人」に出会わせるかを重視します。
地域医療に積極的に飛び込んで、各地の方々と会員を繋げることが、いま出来ることです。
会員に会いに行き「地域のサポートチームを作る」ことを目標にしています。
地域でピアサポートをしている方々、ケアマネージャーさんの存在すら知らない方もらっしゃいます。
思い立ったら、すぐに会って相談出来る方たちと繋がることが出来れば、その後の日常が明らかに変わります。
分かってくれる、見守ってくれる方の存在が、会員の力になれば良いと思っています。
「諦めない医療」実現のため、可能性の扉を開く
―在宅ケアのご経験について、お聞かせいただけますか。
主人の前に、義父が肝細胞がんを患った時に、在宅ケアで「看取り」「セデーション(※1)」を経験しました。
当時は子ども達が大学生で時間を作りやすかったのと、私たち夫婦も看病のために動くことが出来ました。
※1:セデーション:鎮静。また、鎮静剤を投与すること。(大辞林)
主人も義父のように自宅で亡くなることを望んでいましたが「人手」が足りませんでした。
母に何かさせるのは忍びなく、子ども達は社会人になって忙しく、気が付いたら私1人で看病していました。
「全力でやりたい!」と思いつつも正直、ずーっと緊張している中、ふと「これ、いつまで続くんだろう。」と思ってしまって、自分を責めることがありました。
主人は私の姿を見て「自分が生きていることが家族を苦しめている。」と思ってしまったのです。
在宅ケアは「人手」があって、家族の中に極限以上の無理がなければ良いと思います。
一方で家族が「私たちがどんな思いをしても、最期に家で看てあげるのが、この人のため。」と思い込み過ぎると、両者の間に悲しい現実が起こることもあります。
主人の場合、本人の希望通りに「在宅ケア」を試みたものの、かなりの呼吸苦で「苦しい」の一点張りで、看ていられませんでした。
「家に帰る、ほんとうの意味は何だろう?」と考えた時、それは「家族のそばで過ごしたい」ということなのではないか。と思い至ったのです。
在宅ケアでお世話になった方から「レスパイトケア(※2)」の考え方を教えていただいたことは、私たちにとって大きな助けになりました。
※2:レスパイトケア:介護の必要な高齢者や障がい者のいる家族へのさまざまな支援。家族が介護から解放される時間をつくり、心身疲労や共倒れなどを防止することが目的で、多くデイサービスやショートステイなどのサービスを指す。(デジタル大辞泉)
「まるで死を待つように、一瞬でも目を離しちゃいけないとなると、辛くなってしまいます。ご家族にも、“レスパイト(小休止)”は必要です。」とアドバイスをいただいたのです。
「レスパイトで入院した時に急変する可能性もある。けれど、お互いボロボロになって、相互の負担になっていると“思う”ことが本当に幸せかどうか。」と。
事前の意思決定では「最期の最期は自宅で」と思っていたところ、「お互いに、思い合える精神状態を保ちたい。」と病院を選択しました。
主治医の先生が最期まで付き添ってくれたことで「もしかしたら、これが最高の形だったのではないか。」と今は思っています。
病状が刻々と変化していく中「その時々の、その人のベスト」があることを声を大にしてお伝えしたいです。
選択のためには、やはり「相談すること」、「知ること」が重要ではないでしょうか。
「私たちは、家では最期を迎えませんでした。」とハッキリ言うことも、病院にお願いすることを躊躇している方たちへのメッセージになると思い、発信しています。
「諦めない医療」の実現には「誰と繋がるか」が、とても大切です。そのためにはやはり、「自分から」出て行くことですね。
例えばブログやFacebookは、情報を発信することで、様々な反応をいただくので、強い意思が必要です。
「強い思い」が、良い変化を起こしていくための勇気になります。
勇気に共鳴した方達は、それぞれ自分で何かしら行動していきます。
「みいクリニック」では、がんサバイバーシップ室長として、医療情報の動画配信や気軽に相談できるカフェのようなスペースを設置して、患者さんをサポートさせていただいています。
医師の説明が難しくて分からない、日々の不安を聴いてほしい、そんな方が気軽に相談に来れる場の提供を心がけています。
宮田先生のご助力で、遠方からの「セカンドオピニオン」をお受け出来ることで、各地域にどんどん繋がりが拡大しています。
―「希望の会」の課題についてお聞かせください。
「遺族問題」です。
会員には若い女性の患者さんが多く、幼い子を抱えた父親が遺族になると、孤立して弱音を吐きにくいのです。
自分の親にも、会社でも言わないし、地域との繋がりもない。友達にも、つい「大丈夫?だよ。」と言ってしまう。
お子さんの前では立派な父親じゃなきゃいけない。
遺族が集える場所は、あまりないんです。
家族が亡くなると病院とも切れちゃうし、亡くなって何年も過ぎ、心が落ち着いてから泣いていると「いつまで泣いているんだ。」と言われてしまって、安心して泣けなくなる方もいます。
今年は、がん患者さんやご家族を地域全体で支援するチャリティ活動「リレー・フォー・ライフ(RFL)」の場を利用させていただいて、全国の皆さんに会いに行っています。
―「希望の会」の今後についてお聞かせください。
元々私たちが経験したのは「スキルス胃がん」ですので、原点は守り、大事にしていきます。
でも広い意味では、全ての「がん」に共通する問題もあって、更に広げていくと他の病気にも通じていきます。
例えば家族が病気になった時、家族が何に困るのか。
待合室で待っている時、どんな気持ちでいるのか。
それは「がん」でも「認知症」でも、在宅で看ることには家族と本人の間に何が起こるか、共通しているところがあると思います。
クリニックや各方面との繋がりで、色々な可能性が広がってきました。
出会った方々との関わりの中で、私たちに何か出来ることがあるなら、精一杯やっていきます。
「スキルス胃がん」に関する長期的視野では、何よりもまず「標準治療」を作っていただかないと扉が開きませんので、継続して目指します。
その為には、データの提出や、アンケート調査等、ほぼ全ての患者さんたちと共に「全面協力」していきます。
団体概要
認定NPO法人 希望の会HP:
https://npokibounokaihp.wixsite.com/kibounokai
認定NPO法人 希望の会動画(You Tube):
https://www.youtube.com/channel/UCOVwAicxFQGLq_4vnR1g1FQ
『もしかしたらスキルス胃がん』無料冊子:
https://npokibounokaihp.wixsite.com/kibounokai/blank-c19ne
参考文献:
『国立がん研究センター -胃がん基礎知識』:
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html
参考サイト
みいクリニック HP:
http://mih-clinic.com/
みいクリニック twitter:
https://twitter.com/toshiomiyata
リレー・フォー・ライフジャパン:
http://relayforlife.jp/
取材・文:GCストーリー株式会社 阿南
画像提供:認定NPO法人 希望の会